以下、「...saying yes to life in spite of everything」より転載。
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、
生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに
問いを提起しているからです。
私たちは間われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、
その現在は、
人生が私たちに出す
いつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが
期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな末来が私たちを待ちうけているかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
以下 「夜と霧」 より転載。
さあ、わたしの番だ。
先ほど、だれかがわたしにささやいた。
(「見ている方から」)右は労働に、
左は労働不適格者や病人の収容所にやられるんだぞ。
わたしはなりゆきに任せることにした
――これを皮切りに、わたしは幾度となくなりゆきに任せることになる。
パン袋のおかげで体は左に傾げそうだ。わたしは背筋を伸ばし、しゃんとした。
親衛隊員はわたしをさぐるようなまなざしで眺めた。
不審に思ったか、疑念をおぼえたかしたらしい。
男はわたしの両肩に手を置いた。
わたしは「いかつい」感じをあたえようと、つとめて直立
の姿勢をとった。
すると男はわたしの肩をゆっくり回転させ、
わたしは右を向かされ――
そして、わたしから見て右のほうへ走った。
夜になって、わたしたちは人差し指の動きの意味を知った。それは最初の淘汰だった!
生か死かの決定だったのだ。
それはわたしたちの移送団のほとんど、
およそ九十パーセントにとっては死の宣告だった。
それは時をおかずに執行された。(わたしたちから見て)
左にやられた者は、プラットホームのスロープから直接、
焼却炉のある建物まで歩いていった。その建物には――そこで働かされていた
人びとが教えてくれたのだが――「入浴施設」といろんなヨーロッパの言語で書かれた紙が貼ってあり、
人びとはおのおの石けんを持たされた。
そしてなにが起こったか。それについては言わなくてもいいだろう。
すでに数々の信頼できる報告によって明らかにされているとおりだ。
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既存の考え方、哲学に頼りかからない。
ネットで情報を収集するのが日課。
知らなかった新しい知識を得るのは新鮮な
楽しみ。