生きていくのは大変な事だと思う。
2000年前の人々は本当に日々生きていくのに必死だったし、
現在の我々も明日の不安と戦いながら、表面は笑顔で頑張っている。
「40周期説」によれば、
1868年~1904年(明治維新から日露戦争まで)=上り坂の時代
1905年~1945年(日露戦争後から第2次世界大戦の終戦まで)=下り坂の時代
1946年~1985年(戦後からプラザ合意まで)=上り坂の時代
1986年~2025年?(バブル経済から??)=下り坂(今現在) らしい。
ここから自分なりに推測してみたのだが、
明治維新から日露戦争まで、
そして日露戦争後から第2次世界大戦の終戦までは軍事力の時代だったと思う。
そして1946年~1985年は経済力の時代だった。
とすれば、次の40年間は違う力を持つ国が影響力を持つと思う。
軍事力→経済力→?
考えてみたのだが、もしかすると「芸術、文化、科学」といった
知的財産じゃないのだろうか?
どうしてこういうことを考えたのかというと
それぞれの時代が生き詰まった時は、国家としての目標を達成したときから、
目標が消失し、人々に希望がなくなってしまったからだったという事実があるからだ。
今現在の日本に希望がないのは国家としての目標がないからではないかと思う。
かつては欧米に追いつけ追い越せとやってきたのだが、
1985年についに頂点に達してしまって目標がなくなってしまったのではないか。
よく「若者の~離れ」という言葉を聞くが、
それはマスコミがもっと若者に消費せよというあおり文句なのだと思うが、
基本的に間違っていると思う。
確かに若い人々にお金がないという理由もあるし、パラダイムシフトが起きていて
かつてのように高価な物質を大量に消費することに満足感を見出せなくなった、
のではないかと思う。
確かにお金があればいろいろなものを所有したり、旅行にいったり美味しいものを
食べる事もできる。
でも、人生ってそれだけだろうか?
ネットの発達ですごく変わったことは、人々の意識が誰でもいろいろな価値観を
見聞き出来るようになったことだ。
マスコミで画一的に流されていた意識から、「それぞれみんな違うんだ」という事に
気がつき、生き方もそれぞれ自分流になってきていると思う。
だから、誰かが持っているものを無理して欲しくのないのにもつ理由もないし、
誰かに評価されなくたって自分が価値があると思うものには時間もお金もかける。
そういった生き方ができるようになったと思う。
そういう人々が増えてくると、芸術や文化も生命力を豊かに保って、
今までになかったものが登場してくると思う。
今はその過渡期にきているのでは。
人間とは何と欲深い生き物なんでしょうか?
軍事を放棄したこの国を支えた経済は頭打ちになり、最後は心の時代になってきているのを私も感じます。
絵は何時まで経っても、その時代の生き証人として私たちを慰めてくれる良き友です。
この文章を読んでつくづくそう思いました。
漫画面白いです。私の生きる糧になっています。
大変暖かいコメント誠にありがとうございます。
当方の未熟な作品を面白いとお褒めくださって、
しかも「生きる糧」とのお言葉、とても嬉しいです。
描いている本人は面白いものを描こうと思っていても、
読んだ方がどう感じていらっしゃるか
わかりませんし、いつもそれが気がかりです。
時々、「自分が漫画を描くことに果たして
意味があるのだろうか?」といった疑問さえ
ありますが、先 さまのお言葉に
迷わず前進していこうという希望を
いただきました。
ありがとうございます。
「最後は心の時代になってきている」と
同じように感じてくださる方がいらっしゃると
思うと心強くなれます。
読んでくださる方がいらっしゃるうちは
諦めずに続けて行こうと思います。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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既存の考え方、哲学に頼りかからない。
ネットで情報を収集するのが日課。
知らなかった新しい知識を得るのは新鮮な
楽しみ。