昨日あたりから、感情が湧いても直ぐに消えるようになった。
イライラしてもそれが勝手に静まっていく。
考えや感情は勝手に沸き起こるもので、自分で考えたりしている
のではない。
すべては神が動かしているのであり、思いや感情、考えは自動的に
ただ起こっているだけだ。
生まれつき与えられた気質、環境、得てきた経験などと状況で、
感情、行動は決まっている。
一日の終わりに、自分の行動や起きた感情、考えを観察すると、
すべては決められた流れであることがわかる。
こうやって日記を書く。これも決まっていることなのだ。
スピノザが『エチカ』において
人間の自由意志を否定。
定理48 精神の中には絶対的な意志、
すなわち自由な意思は存しない。
むしろ精神はこのことまたは
かのことを意志するように原因によって決定され、
この原因も同様に他の原因によって決定され、
さらにこの後者もまた他のの原因によって決定され、
このようにして無限に進む。
(エチカ第ニ部精神の本性および起源について)
「精神の自由な決意で話をしたり、
黙っていたりその他いろいろなことを為すと信じる者は、
目をあけながら夢を見ているのである」
(『エチカ』第3部定理2備考)
つまり、「自由意志」とは実在しない概念、
人間が勝手につくった妄想。
死後の世界や幽霊、宇宙人と同じ。
未だに死後の世界や生まれ変わりを信じている
人々もいるが、人生をそういう迷信で浪費する必要はないはずだ。
「王の木」の話はダニエル書にヒントを得ている。
世界を支配する帝国の大王が、己の力に高ぶり、傲慢の極みに達した時、
神からの命令で精神病患者となり、
その知性とすべてを失い、また癒され、再び知性と権力とを元通りに
与えられる話だ。
このダニエル書の話は決してただの架空の物語ではない。
現実世界を貫く実際の原則だ。
目には見えない神の力は働いている。
良いことも悪いことも
神の意志。
神がシナリオを書き、
自由にキャラクターを
動かす。
若い頃のモーセはエジプト王女の息子として育てられ、
優れた能力を持っていたが、その能力では
人を救うことはできなかった。
反対に何十年も荒野で羊飼いとなり、
全ての能力を失くしたような時に、
神が現れて、
命令を与えた。
「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。
わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
人の能力では歴史が動く事はない。
世界を司っているのは神だ。
神を待ち望む事こそ知恵だ。
ラメッシ・バルセカールの「全ては神の意志」。
カバラの「全ては決まっている。」
科学と人間観察者達の示す事実。
人間に自由意志はない。
我々の行動は無意識が決めている。
それも全て神が行なっている。
神が造り、神が動かす。
創造者、存在者の名前を神と呼ぶか、別の名で呼ぶか、
人によって違う。
善悪、幸不幸を超越した存在。
ヨナのように、またはヨブのように従うしかないのだ。
我々は幸いを望み、起きて欲しくはない事を避けたい。
しかしそれを決めるのは神だ。
神が一度命じたら、苦難であろうが甘んじて受けなければ
ならない。
それが運命だ。
逃げることもできる。
しかしヨナの話のように運命はどこまでも
許すことはない。
結局完全に委ねる以外ないのだろう。
運命から逃げることはできないと思う。
自由意志は理由づけのようなもので、
無意識の行動のほうが先に起きることは
科学実験で知られている。
我々は潜在意識で動かされている。
潜在意識(直感)に従えば自分らしい人生を
歩めるが、顕在意識で潜在意識で操ろうとすると、ヨセフに
自分の夢を解いてもらった料理長のようになる。
自分の欲やエゴで潜在意識を操ろうと思ってはならない。
潜在意識の声に従うのが正しい生き方だ。
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既存の考え方、哲学に頼りかからない。
ネットで情報を収集するのが日課。
知らなかった新しい知識を得るのは新鮮な
楽しみ。