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漫画制作日記
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自分の壁が見えた。
広告制作会社に勤務する友人から「宗教や政治に関連した作品はやめるべきだ。」という意味が。
もはやメッセージ性というもの自体、死語同然になっているのだ。
「勝ち組」や「負け組」という言葉もすでに死語になったが、それを知らずに
まだ使っている人々もいるが。
時代の流れに気がつかなければあっという間に過去の遺物になってしまう。
未だにドグマにしがみつきマインドコントロールされている人々を思い出してしまった。
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キリスト教には良い影響をたくさん受けた。
なにものにも代えがたいものも心に与えられた。
しかし人間は概念だけでは生きていけない。
貧しくなると時間さえもなくなってくる。そうすると考える力もなくなってくる。
「貧すれば鈍する」というのはそういうことだ。

ユダヤ的な考え方からすると、どん底から知恵を持って這い上がることが
人間の務めのように思える。
それはとても苦しい。
でもそのように造られた者がいるのだから、運命に従って生きるしかない。
孤独と無理解、困難の連続だろう。
倒れていたら、土でも何でもよいので掴んで起き上がるのだ。
死ぬ時は神が決めているので、何も考えなくても良い。
意識がある間はただ前進し成功することのみ考え続けるのだ。
結果は神が決めることなのだ。
岡本太郎は、「芸術は、うまくてはいけない、
きれいではいけない、ここちよくてはいけない」と言ったそうだ。

それはよくわかる。油絵を描いていた時、絵の先生方がよく言っていた、
「売り絵を描くな」という言葉だ。
「売り絵」というのは銀座のような画廊に置いてあるような
売るための絵で、花とか果物なんかが、「うまく、きれいで、ここちよく」描いてある。
だが、じっと見ていると徐々に疲れが出てくるものが多い。
生命力がなくなってくるような感じなのだ。
生きている実感がわかない。
生きるとはどういうことだろう。
ムンクの絵も「うまく、きれいで、ここちよく」とは言い難い。
ゴッホの絵はきれいだとは言えるが、ゴッホが生きている時にそう思った人は
どれほどいただろう。
だが、時間が経つと生命力のあるものはいつまでも残って、それを教えてくれる。
うまく、きれいに、ここちよく描こうとするのはやめた。
これからは荒々しく、思うがままに描こうと思う。
少しぐらい形が狂っていても気にしないようにしようと決めた。
義人と呼ばれるヨブでさえ、
自分が生まれなければ良かったと言っている。

02:13 彼らは七日七夜、ヨブと座っていたが、ひと言も話しかける者はいなかった。
ヨブの苦しみがあまりにも深かったからである。

03:01 その後、ヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪った。 03:02 ヨブは言った。

03:03 その日は滅び失せよ。わたしの生まれた日、
男の子が宿ったと告げた夜は。
03:04 その日は暗闇につつまれよ。
天の神は思い返すこともなく、
光もこれを照らすな。
03:05 その日を闇と死の影が奪い返せ。
黒雲は空を覆い隠し、
昼の漆黒はその日を恐怖におとしいれよ。
03:06 その日は年の日に加わるな、
月の数にも入るな。
その夜は、深い暗闇が取り押さえよ。
03:07 見よ、その夜は不妊のものとなれ、
どの地にも喜びの声は上がるな。
03:08 その日を呪え、日に呪いをかける者、
レビヤタンを起こす力のある者が。
03:09 たそがれの星は暗くなれ。
光を待ち望んでも叶わず、
あけぼののきらめきは人目から遠ざかれ。
03:10 わたしの母の胎の戸を閉ざさず、
この目から苦しみを隠さなかったのだから。
03:11 なぜわたしは母胎で死ななかったのか、
生まれてすぐに息絶えなかったのか。
03:16 なぜ人知れず降ろされる胎児のように、
決して光を見ない赤子のようにならなかったのか。
03:12 なぜ抱きかかえる膝と、
乳を飲ませる胸があったのか。
03:13 それさえなければ、わたしはおだやかに横たわっただろう。
安らかに眠りについただろう。
03:14 自分たちのために廃虚を建て直した、
王や議官たちのように。
03:15 あるいは、その家々を白銀で満たした、
黄金をたくわえる君主たちのように。
03:17 かの地では悪人は乱暴をやめ、
疲れた者は休息をえる。
03:18 囚人は解放され、
こき使う者の声を聞かない。
03:19 小さい者も大きい者もともに過ごす。
奴隷も主人から自由になる。
03:20 なぜ惨めな者に光が与えられ、
心悩む者に命が与えられるのか。
03:23 神が道をさえぎり、
行く先の見えない者に。
03:21 彼らは死を望んでも叶わず、
埋もれた宝より死を掘り求める。
03:22 彼らは墓を見つけたら大いに喜び、
満足するだろう。
03:24 わたしのため息は食事に代わり、
うめきは水のように注ぎ出される。
03:25 恐れていたことが、
心配していたことがわたしに降りかかった。
03:26 わたしにはくつろぎも、おだやかさも、安らぎもない。
ただ苦しみだけがやって来る。
自分がユダヤ教に関心を持ったのは、実際にユダヤの知恵を実行してみて、
生活がよくなったからだ。
クリスチャンであった時には、つらい肉体労働の日々を送りながら、
ただ信じて祈る日々だったが、ユダヤの知恵を実行してから一変した。

ようするに、ユダヤ教とは「考えること」だ。
そういうことがこの数年でわかってきたが、たまたま見たサイトで、
日本人のラバイ(ユダヤ教の教師)の方が面白いことを毎回書いていて、
教えを請いたいと思っていたら、返事を頂いた。

「ユダヤ教の第一歩は深く考えることです。」

洗脳とは反対だ。
ユダヤ教では神の存在すら疑う。
しかし否定はしない。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて

考えて考えて考えて考えて考えて考える

質問すら、その質問が考えるに値するものか考える。
あらゆる常識を疑ってかかる。
あたりまえ、と信じているものは本当にそうなのか。
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