それは世界中一緒だが、自然が豊かで人が少ない場所だと
それほど金銭には関係なく幸福感を得られるように思う。
その点では、ヨーロッパは公園など社会基盤が充実していて、
お金をかけなくても、楽しく過ごせるような暮らしが出来る。
日本も本当はバブルの頃に国民の財産となるような自然公園を
たくさん作っておくべきだった。 お金が無ければ幸福な時間は過ごせない、
という常識から発想を転換して、お金が無くても快適にすごせる国作りを目指せばよいのだ。
そうすれば自然と子育てに対する不安も少なくなり、
少子化社会にも歯止めが掛かるはずだ。
インフラ整備に関連して公共事業も維持が出来、
雇用も確保出来る。かつては金を使った欲望のためのインフラ整備が重点だったが、
これからは誰もが居場所が持てるインフラ整備を進めるべきだ。
江戸時代の文化が優れていたのは、長く平和が続いたこともあると思うし,
時間に余裕があったではないだろうか。
今の時代、とにかくすぐに換金できなければ存在の価値がない、
という風潮が蔓延っているように思える。それはモノに限ったことではない。
人間そのものも、カネを稼げるか、稼げないかで価値判断される。
野に咲いている花に値段がつくだろうか?
空や星は幾らで買えるだろう。
時々は時間と物から開放されて、
誰もいない海や山に行くのも良いかもしれない。
もうじき価値観が変わる時代がやってくると書いた。
あるコンサルタントの人のスピーチをWebでダウンロードして聞いてみて、
同じような考えを持っていると思った。
その人の考えでは70周期で世の中が変わっていく、というものだった。
この考え方だと、あと5年ほどしたら今までとは価値観が違う時代が来るらしい。
以前聞いた40年周期説だとあと15年なので、それより早い。
どのように変わっていくかというと、「心の時代」になっていくというものだ。
そして価値観が変わる時には、それまで最も成功者と
思われていた人々があっさりと退場していくという。
戦前までは陸軍大将になるのが男として最高の成功者とされていたのが、
戦後には誰もそんな価値観を持つ人はいなくなった。
現代の価値基準は数字であり、いくら稼いだか、ということがその人間の価値判断の
基準に大きく影響していると思う。これはビジネスでもクリエイティブの分野でも同じだ。
金を稼げないものには価値など存在しないかのようだ。
そうすると、ゴッホの作品などは生前は全く無価値だったし、
価格が上がって人気が出るようになってから、多くの人々に注目されるようになった。
これも彼の死後、美術に対する価値観が変わったからだろう。
でももし、ゴッホが当時の人々の美術に対する価値基準で絵を描いていたら、
今残っているような作品を描けただろうか?
それまでの常識とされていたことなど、一瞬で覆ってしまう。
日本は日露戦争で勝利したため、当時の国民が勘違いをおこし、
戦争賛美、領土拡大、軍国主義へと突っ走っていったが、
そのときの最強兵器だと信じきって疑いもしなかった大艦巨砲が、
いざ太平洋戦争がはじまった途端、ほとんど役に立たなくなったのだ。
その代わり一番よく戦ったのが、補助戦力と言われていた、
空母であり、駆逐艦などだった。
レーダーなど最新技術に対する無知、無関心もひどかった。
日本人が発明したアンテナを欧米でさらに改良したものが搭載され、
初期の頃は肉眼のほうが勝っていた性能もすぐに逆転した。
明治の頭で戦っていることに気が付かないまま玉砕へと突っ走っていった。
だが、全ての人がそうではなかった。
日本にも「総力戦研究所」という科学的思考をできる頭脳集団があった。
彼らはもし戦争になった場合、どう推移するかをシュミレーションした。
結果は、史実とほとんど同じだった。
現在も未来に起こることをシュミレーションしている人々がいるだろう。
ネットでそのような人々の意見を捜して調べると、
かなり共通しているのが、「価値観の一大転換」だ。
「鬼畜米英」「一億玉砕」から「民主主義」「平和」へと変わったように、
当時子供だった人々は、突然言う事を変えた大人たちに大変不信感を抱き、
何を信じていいのかわからなくなったという、三浦綾子さんと同じような話を
聞いた事がある。
今現在の日本の社会が最も暗く、閉塞感が漂っているように見えるのは、
実はもう少しで明るい時代が来る前触れなのではないかと、
個人的には考えている。
生きていくのは大変な事だと思う。
2000年前の人々は本当に日々生きていくのに必死だったし、
現在の我々も明日の不安と戦いながら、表面は笑顔で頑張っている。
「40周期説」によれば、
1868年~1904年(明治維新から日露戦争まで)=上り坂の時代
1905年~1945年(日露戦争後から第2次世界大戦の終戦まで)=下り坂の時代
1946年~1985年(戦後からプラザ合意まで)=上り坂の時代
1986年~2025年?(バブル経済から??)=下り坂(今現在) らしい。
ここから自分なりに推測してみたのだが、
明治維新から日露戦争まで、
そして日露戦争後から第2次世界大戦の終戦までは軍事力の時代だったと思う。
そして1946年~1985年は経済力の時代だった。
とすれば、次の40年間は違う力を持つ国が影響力を持つと思う。
軍事力→経済力→?
考えてみたのだが、もしかすると「芸術、文化、科学」といった
知的財産じゃないのだろうか?
どうしてこういうことを考えたのかというと
それぞれの時代が生き詰まった時は、国家としての目標を達成したときから、
目標が消失し、人々に希望がなくなってしまったからだったという事実があるからだ。
今現在の日本に希望がないのは国家としての目標がないからではないかと思う。
かつては欧米に追いつけ追い越せとやってきたのだが、
1985年についに頂点に達してしまって目標がなくなってしまったのではないか。
よく「若者の~離れ」という言葉を聞くが、
それはマスコミがもっと若者に消費せよというあおり文句なのだと思うが、
基本的に間違っていると思う。
確かに若い人々にお金がないという理由もあるし、パラダイムシフトが起きていて
かつてのように高価な物質を大量に消費することに満足感を見出せなくなった、
のではないかと思う。
確かにお金があればいろいろなものを所有したり、旅行にいったり美味しいものを
食べる事もできる。
でも、人生ってそれだけだろうか?
ネットの発達ですごく変わったことは、人々の意識が誰でもいろいろな価値観を
見聞き出来るようになったことだ。
マスコミで画一的に流されていた意識から、「それぞれみんな違うんだ」という事に
気がつき、生き方もそれぞれ自分流になってきていると思う。
だから、誰かが持っているものを無理して欲しくのないのにもつ理由もないし、
誰かに評価されなくたって自分が価値があると思うものには時間もお金もかける。
そういった生き方ができるようになったと思う。
そういう人々が増えてくると、芸術や文化も生命力を豊かに保って、
今までになかったものが登場してくると思う。
今はその過渡期にきているのでは。
ユダヤ人の格言には生きていく上で参考になるものが多い。
追い込まれても勝負を捨てない、というのもその代表例だ。
何かで読んだが、第二次大戦中に一人のジャーナリストが強制収容所に収容されていた。
彼の妻も子もナチスに殺されてしまった。
彼はある日、ついにそこを脱出すると決心した。
しかし、トンネルを掘っていたのでは間に合わない、それまでに死んでしまうだろうと思った。
そして彼は、今日、必ずここを出なければならない、と決心してその答えを考え始めた。
それはとうてい不可能に思えた。
しかし彼は考えるのをやめなかった。
彼の前に大きな死体の山があり、重機がそれを運んでいた。
収容所の外の埋葬場所に運んでゆくのだった。
彼は答えを思いついた。
腐敗して白骨化した、ウジのたかった死体の山に身をひそめたのだ。
数時間後、彼と死体は重機で外に運びだされ、彼はそこから
60kmほど走って隣の村まで逃げ延びたのだという。
この話を読んだ時、自分だったらもう既に絶望して、
生きる気力も失っていただろうと思う。
ユダヤ人の話にはこういう知恵がよくでてくるが、
やはり、そこには「あきらめない」という
強い意志が感じられる。
人間はいつかは死ぬのだから、
それまではジタバタ生き続けてみようと思う。
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既存の考え方、哲学に頼りかからない。
ネットで情報を収集するのが日課。
知らなかった新しい知識を得るのは新鮮な
楽しみ。